JR福知山線脱線事故に思う
JR西日本、福知山線で、まれに見る大脱線事故が発生した。まず、被災者・遺族の方々にお悔やみ申し上げます。
即座に、過密ダイヤによる経済性追求競争が原因であると報ぜられた。経営姿勢を問うというのである。
国土交通省は、ATS を働かせる設備改良によって、同種の事故を根絶すると宣言した。人為の事故を防ぐには当然のことと思う。でも、本件には何か違和感がある。安全性と利便性のバランス、経済論理と倫理観の問題など難しい課題はあるが、まず取り組むべきことは、公益あるいは生命の尊厳を第一とする倫理観を全従業員が取り戻すことである。
現在の安全は積年の集積として在るが、それを維持するには、新しい世代に引き継いでいく不断の努力が必要である。
人は間違えるものだと考える安全常識は、設備対策に走る。そのシステムの中の人は、考えることをしなくなり、もっと初歩的な過ちを犯すようになるに違いない。したがって、その次には駅で停止する装置が要る。次はすべて自動で運転するのだろうか。
仙台市の地下鉄では、ベテランの運転ノウハウをインプットして、安全運転のファジーシステムを作ったと聞いているが、それでも乗降客の安全のために、運転手はおいている。
駅で停車できない運転士が増えてくればどうなるのか。機械が人を使えるわけはない。
21世紀は、人が人らしさを取り戻し、安全を主体的に確保するものでありたい。機械万能で進めてよいとは思わない。本件を倫理問題として対策することがより重要と考える所以である。
大都市における過密ダイヤは解消しがたい。私は東北に生活しているので、今後の都市生活においてまだまだ余裕のある幸せを今、味わっている。地方の将来がゆとりのある交通事情を温存できることを祈っている、否、すべてにゆとりを持っていることこそ21世紀の豊かさであると考えたい。

